近衛文麿は中学は学習院でしたが、そこから第一高等学校へ進みました。

  旧制高等学校の中でも、第一から第七までの番号のついている学校は、ナンバースクールと呼ばれて、特別扱いでした。

  その他に、東京高校、弘前高校など、2〜3県に一つくらいの割合で官立(国立)の高等学校が存在し、東京だけは、東京府立高校という公立の高校がありました。

  私立の旧制高校は武蔵高校と成城高校。

  学習院はどうだったんだ、と思うでしょう。

  学習院高校は存在していましたが、なんと官立だったんですよ。

  皇族・華族のための学校ですから、官立だったのは何の不思議もありません。戦後、私立に変わったのです。

 

  さて、旧制高校の中でも、一高(第一高等学校)は特別の難関で、東京帝国大学よりも遙かに難しいと言われていました。一高を卒業すると、だいたい全員が東京帝国大学に進んだのです。

  ただし、東京帝国大学の中でも、文系では、法学部(古くは法科)だけ、志願者が多く、一高を出ていても、成績が悪いと入れなかったようです。

 

 学習院中学を出ると、たいていは学習院高校に進みましたが、近衛は敢えて、一高を受験し、見事に合格しました。

 近衛家の跡継ぎだから、どうせコネ入学だろう、などと思ってはいけません。

  戦前の帝国大学や旧制高校のプライドは大したもので、昭和ヒトケタ代に、ある典型的な出来事が起こったことがありました。

  学習院高校に在学していた、皇族の若様が、東京帝国大学を受験することになりました。なんとそれを察知した新聞が、「学習院の秀才が帝大を受ける」と書き立てました。

  ところが、東京帝国大学は、これだけ話題になった、この皇族を落としてしまったのです。

  皇室にも屈することがないということで、帝大の権威はいやが上にも高まりました。

  一方、海軍兵学校や陸軍士官学校は、皇族は無試験入学でした。これはまあ、「皇族男子は軍人にならなければならない」という法律があったのですから、当然のことでしょう。

 

  というわけですから、近衛が一高に合格したのは、コネではなく、実力だったのです。

ただのお公家さんではなかったわけです。

 

  そして、一高から東京帝国大学文科に進みましたが、やがて、京都帝国大学の法科に転校しました。そのへんの事情はよく分かっていませんが、流石に、東京帝国大学の法科には入れなかったのではないかと察せられます。

 

 大学卒業後は、政治を志し、貴族院で活躍しました。

  1931(昭和6)年には、貴族院副議長、2年後には議長に就任しています。

 

  現在、僕の話が到達した1937(昭和12)年の時点では、数え年47歳。そう若いというわけではありませんが、老人たちばかりの当時の政界の中では、颯爽とした雰囲気があり、おまけに、かなりのハンサムだったので、日本の行き詰まりを打開してくれそうな、頼もしい政治家に見えたのです。

 

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