1931(昭和6)年11月、中国の天津市。一人の男がスポーツカーのトランクに隠れて、そっと町を出て行きました。行く先は満州。
5歳で退位した、清朝最後の皇帝・愛親覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ/アイチンチュエロープーイー)、今では、数え年27歳になっていました。
ところで、愛親覚羅というのは、清朝皇帝の家柄の姓ですが、中国語読みすると「アイチンチュエロー」です。満州語読みの発音を漢字に転写したのです。「オバマ」を「奥巴馬」と書くようなもの。
満州語というのは、アルタイ語族に属しますから、日本語と同系統。語順などは日本語とそっくりです。
韓国語の次に日本語に近いのは、満州語とモンゴル語です。
ところで、清朝が成立したのは、徳川幕府成立の直後ですが、国を起こしたのは太祖ヌルハチ。その次が太宗ホンタイジ。
第3代の世祖から「順治帝」などという名がつきます。最初の2代は、実はまだ、中国を支配するには至っていなかったのです。
世界史を勉強した人は、ホンタイジという名前を聞いたことがあるでしょう。
そして、教科書によっては「皇太極」などという漢字が当ててあります。
何のことだ、と不思議に思ったことがあるのではないでしょうか。
実は、ホンタイジは、ヌルハチの息子の中で、特に母親の身分が高かったので、小さい頃から後継者と定められ、中国語で「皇太子」と呼ばれました。
「皇太子」の中国語読みは「ホワンタイツ(huangtaizi) 」なのですが、これを満州人はなまって「ホンタイジ」と読みました。
「ジ」では、「子」の音と違ってしまいますので、これを聞いた中国人が、「ジ」の音に近い「極(ji)」を当てて、「皇太極」と表記するようになったのです。
この系統の家系が「愛親覚羅」という苗字を持っていました。
意外に知られていないことですが、溥儀は退位したときの契約で、一生の間、皇帝の称号と礼遇を保証されて、紫禁城に住むことを許されることになっていました。
ところが、時代が変化して、中国の混乱が深まって行くにつれ、契約は守られず、溥儀は紫禁城を追われて、天津でひっそりと暮らしていました。
これに日本が目をつけたのです。
溥儀を天津から連れ出したのは、満州事変勃発の直後でした。
利用の仕方も察しがつくというものです。
次回は、満州国の建国です。
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