鳩山一郎という人は、ハト派のイメージが強く、マスコミ受けのする人です。
戦後の民主派の良心であるかのように尊敬している人もいます。
この人が良識の人であるように思われるようになったのは、1956(昭和31)年に首相として、ソ連との国交を回復したからです。
田中角栄が日中国交回復で人気の絶頂に達したように、鳩山はソ連との国交回復で名を挙げたのです。
ソ連や中国が相手ですから、進歩派はこの2人を批判することができなくなってしまいました。
田中角栄は、犯罪を犯してつぶれてしまいましたが、鳩山はボロを出さなかったので、死後も「いい人」として、歴史に記されることになりました。
人間の評価は「棺を覆うて定まる」と言われますが、それって、嘘ですよ。
教科書にも書いてあることなのに、みんなが見て見ぬ振りをする鳩山の暗い過去があります。
それは、1933(昭和8)年の「滝川事件」です。
これはまた別項で説明する予定ですから、簡単に言っておきますが、京都帝国大学教授・滝川幸辰(たきがわゆきとき)の刑法理論を、国体に反するものとして、政府が弾圧を加えた事件です。
この事件の総責任者が、当時の文部大臣・鳩山一郎だったのです。
鳩山は、戦前は、強圧的な国家主義者だと思われていたのに、戦後、追放が解除されて政界に戻って来たときには、アッと驚く民主主義者・平和主義者に変貌していたのです。
それなのに、イメージ作戦が成功して、その名前のせいもあったでしょうか、すっかり「ハト派」になりきってしまいました。
岸信介が、戦犯のくせに首相になったのはけしからん、と進歩派は騒ぎますが、どうして鳩山のことは言わないのでしょう。
民主主義や平和に対する罪という面から見たら、岸よりも鳩山の方がずっと罪が重かったと言えるはずです。
「佐藤栄作にノーベル賞をやるくらいなら、鳩山一郎にやればよかったんだよな」と左翼の人が言っているのを聞いて、本当にびっくりしたことがあります。
左翼って、定見なんかないんですよね。
金大中がノーベル平和賞を取ったときには、「金大中と金正日が共同受賞すればもっとよかったのにね」という意見は結構聞かれたんですよ。
今はなき日本社会党は、そういう人ばかりの集まりだったのです。
この議会でも、鳩山は、統帥権干犯(昨日の記事を読んでくださいね)を武器にして、ロンドン海軍条約の批准に反対しました。
「統帥権干犯」というのは、この後、陸軍が大陸に進出して行く際に、政府の掣肘(せいちゅう)を振り切るために使った論理です。
いわば、日本を軍国主義に追いやったキーワードだったのです。
この用語は以前から存在していたのですが、政府攻撃のために使ったという点では、鳩山が先鞭をつけたと言っても過言ではありません。
明日は、さらに、ロンドン海軍条約の顛末へと進みましょう。
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