浜口内閣の若槻全権が、ロンドン海軍条約に調印した翌日から、日本では衆議院の会期が始まり、その批准をめぐって論戦が戦わされました。
批准の可決をするのは枢密院ですが、議会でも議論は行われたのです。
この議会が開かれたのは、1930(昭和5)年の4月から5月にかけてのことでした。
もう一回思い出してくださいね。
若槻内閣も浜口内閣も憲政会。対する野党は政友会で、若槻と浜口の間にはさまれた田中義一内閣は政友会でした。
この頃、政友会の論客と言われていたのが、鳩山一郎。
弁護士から代議士に転じた人で、戦後は首相を勤めましたが、この時期にすでに、政友会の幹部になっていました。
ところで、現在、「代議士」といえば、衆議院議員のことで、参議院議員は含まれないんですよ。というのは、参議院は戦前の貴族院の後継的存在なので、国民の代表とは見なされない、という意識があるからです。
それに、参議院は、英語でthe House of Councilors とか、the Upper House と訳されることからも分かるように、「上院」なので、イギリスなら貴族院、アメリカなら州の代表です。いずれにしても、形式的には、「代議士」とは呼べない存在になっているのです。
話は違いますが、今でも、国会の開会式は、衆議院でなく、参議院の本会議場で行われます。それは、参議院には、貴族院時代から玉座があるからです。
開会式には主上の親臨を仰ぎますから、玉座がないと困るのです。(こういう日本語、分かってもらえるようになりましたかね。「主上」は「しゅじょう」、「親臨」は「しんりん」、「玉座」は「ぎょくざ」と読んでください)
さて、鳩山代議士は、徹底的な政府攻撃を行って、批准に反対しました。
その根拠となったのが、「統帥権干犯」の論理でした。
大日本帝国憲法第11条には、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とあります。
陸海軍は天皇に直属するのであり、政府も議会もこれに関与することはできない、という建前だったのです。「統帥権独立の原理」と呼びます。
しかるに、このたび浜口内閣は、政府の権限で以て、海軍の編成にかかわる大事を行ってしまった。天皇の専権事項を政府が干犯したのだから、臣下として不忠の極みである、というわけです。
天皇の専権事項と言ったって、天皇が親らそんなことを決めるわけはありません。
あ。「親ら」は「みずから」と読みます。「自ら」と同じですが、天子の場合には「親」の字を使うのがふつうです。
漢文で「親」の字の右下に「ラ」と送り仮名がついていたら、「みづから」(歴史的仮名遣い)なんですよ。
つまり、「統帥権の独立」というのは、軍部が、内閣や議会を無視して好きなように行動してよい、という無茶苦茶な理屈なのです。
当時でも、もちろん反対意見はあり、その理論は、天皇の軍に対する権限には「統帥大権」と「編成大権」がある、というものでした。
統帥大権は直接戦闘にかかわるものですから、内閣の関与は許されません。一般には人事権も統帥大権に属すると考えられています。
しかし、編成大権は、予算などにかかわりますから、これは内閣が容喙(口を出す)することを許される事項です。
軍縮条約を締結することは、編成大権に属することだというのが政府の立場でした。
こういう考えは、天皇機関説に代表される、民主化して来た当時の憲法学会の常識になっていました。
ところが、鳩山一郎は、議会人でありながら、統帥権の独立を振りかざして、浜口内閣を攻撃したのです。
僕は、鳩山一郎という人が大嫌いなのですが、この統帥権干犯理論は大変な波紋を呼ぶことになりました。
それを明日の課題にしましょう。
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