戦国の三美男の話をしましょう。
現代の日本にはホモはあまりいないようです。もちろん、差別されているから表に出て来ないことはあるのでしょうが、少なくとも他の国々より特に多いということはないようです。西欧の国々よりは少なそうです。
ところが、昔の日本はホモだらけ。
戦国時代には、武将が戦場での性欲処理のために、美少年を伴いました。
もっとも、この頃は、美少年と言っても、武士として強くなければいけませんでした。
江戸時代になると、今度はなよなよした美少年がもてはやされるようになりました。ホモの対象になる美少年のことを「少年さま」と呼んでいたのは、ちょっと笑えますよね。
さて、戦国の三美男といえば、名古屋山三郎(なごやさんさぶろう)、不破万作(ふわばんさく/まんさく)、浅香庄三郎(あさかしょうざぶろう)の三人です。
このうち、浅香庄三郎については、美男だったというだけで、他の資料は何も伝わっていません。
今日は、名古屋山三郎と不破万作の話をしましょう。
名古屋山三郎は1572年と言いますから、織田信長が天下を統一する直前くらいに生まれました。死んだのは江戸開府の1603年。
生まれた場所が名古屋だったので、名古屋山三郎と呼ばれます。武士ですから、本名もあったのでしょう。姓は「名越(なごし)」だったとも言われています。
蒲生氏郷(がもううじさと)に仕えました。氏郷が死ぬまで仕えたということですから、会津にいたことになります。
歌舞伎の創始者として有名な出雲の阿国の愛人だったという説が有力。阿国といっしょに歌舞伎を作り出したのだとも言われています。
蒲生氏の後にも森忠政という大名に仕えましたが、いずれの場合も、ホモの相手はしなかったようです。
山三郎は、槍を取っては天下一という、強い美男でした。もっとも半分やくざみたいな存在だったと悪く言う人もいます。
最後は、同僚と喧嘩して、斬られて死んでしまいました。槍は天下一だったのに、剣は駄目だったのでしょうか。もっとも、相手も死んだんですけどね。享年32歳。
冗談みたいな話ですが、淀殿に愛されたという話があります。そして、秀頼の実の父は名古屋山三郎だったということ。
不破万作は豊臣秀次の小姓。これは間違いなく、ホモの相手だったらしいのです。
これまた、武術に優れた美少年。
ご存知のように、秀次は秀吉から切腹を命ぜられました。
万作は、秀次のおとも、というよりは、秀次の切腹の前に切腹して果て、まあ、露払いをしたわけです。
浅香庄三郎の資料がないので、代わりに一人入れると、織田信長の小姓だった森蘭丸。
これもホモの相手で、信長は女のつもりで「お蘭」と呼んでいました。
本能寺で奮戦して死にました。
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現代の日本にはホモはあまりいないようです。もちろん、差別されているから表に出て来ないことはあるのでしょうが、少なくとも他の国々より特に多いということはないようです。西欧の国々よりは少なそうです。
ところが、昔の日本はホモだらけ。
戦国時代には、武将が戦場での性欲処理のために、美少年を伴いました。
もっとも、この頃は、美少年と言っても、武士として強くなければいけませんでした。
江戸時代になると、今度はなよなよした美少年がもてはやされるようになりました。ホモの対象になる美少年のことを「少年さま」と呼んでいたのは、ちょっと笑えますよね。
さて、戦国の三美男といえば、名古屋山三郎(なごやさんさぶろう)、不破万作(ふわばんさく/まんさく)、浅香庄三郎(あさかしょうざぶろう)の三人です。
このうち、浅香庄三郎については、美男だったというだけで、他の資料は何も伝わっていません。
今日は、名古屋山三郎と不破万作の話をしましょう。
名古屋山三郎は1572年と言いますから、織田信長が天下を統一する直前くらいに生まれました。死んだのは江戸開府の1603年。
生まれた場所が名古屋だったので、名古屋山三郎と呼ばれます。武士ですから、本名もあったのでしょう。姓は「名越(なごし)」だったとも言われています。
蒲生氏郷(がもううじさと)に仕えました。氏郷が死ぬまで仕えたということですから、会津にいたことになります。
歌舞伎の創始者として有名な出雲の阿国の愛人だったという説が有力。阿国といっしょに歌舞伎を作り出したのだとも言われています。
蒲生氏の後にも森忠政という大名に仕えましたが、いずれの場合も、ホモの相手はしなかったようです。
山三郎は、槍を取っては天下一という、強い美男でした。もっとも半分やくざみたいな存在だったと悪く言う人もいます。
最後は、同僚と喧嘩して、斬られて死んでしまいました。槍は天下一だったのに、剣は駄目だったのでしょうか。もっとも、相手も死んだんですけどね。享年32歳。
冗談みたいな話ですが、淀殿に愛されたという話があります。そして、秀頼の実の父は名古屋山三郎だったということ。
不破万作は豊臣秀次の小姓。これは間違いなく、ホモの相手だったらしいのです。
これまた、武術に優れた美少年。
ご存知のように、秀次は秀吉から切腹を命ぜられました。
万作は、秀次のおとも、というよりは、秀次の切腹の前に切腹して果て、まあ、露払いをしたわけです。
浅香庄三郎の資料がないので、代わりに一人入れると、織田信長の小姓だった森蘭丸。
これもホモの相手で、信長は女のつもりで「お蘭」と呼んでいました。
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