徳川家康は、末に生まれた3人の息子を偏愛し、年長の息子たちを差し置いて、御三家として特別扱いしました。紀伊(和歌山県)に封じられたのが、徳川頼宣(よりのぶ)。
十歳のときに、家康から「何か欲しいものがあるか」と訊かれて、「天下」と答えました。家康は、「二度とそういうことを言ってはいけない」と叱りましたが、豪気のほどが偲ばれるというものです。
頼宣の跡を継いだのが、息子の光貞(みつさだ)。ある日、光貞が風呂に入っていると、最近雇われたばかりの百姓娘が、手桶に水を入れて浴室に入って来ました。
この女、やたらに大女。どう見ても美人ではありません。殿様に仕えるとは言っても、水汲みに使うだけですから、別に美しい女を選ぶ必要はなかったのです。
光貞は、風呂につかってじっとしているのが退屈だったので、ふといたずら心を起こし、手でお湯をすくって、女に引っかけました。貧乏な百姓娘は、仕事着とは言え、着物に湯をかけられたのですから、カッとなってしまいました。
なんと、彼女は、湯舟の中の光貞に向かって、手桶の冷水を頭からぶちまけたのです。殿様は驚いたのなんの。百姓娘ですから、殿様に口を利くのさえ、ふつうは遠慮しなければならない身分です。
まあ、これが美人だったら、「私なら何をしても許されるわ」と思い上がって、そのくらいのことをするかも知れません。でも、ブスがそういうことをしたら、お手討ちになるかも知れないのです。
光貞は、すっかり感心してしまいました。その夜、百姓娘は、殿様のベッドに呼ばれました。そして生まれたのが、後の名将軍になる吉宗。お母さんが大女だったので、吉宗も大男。
江戸時代の男子の身長は150センチくらいしかなかったと言われていますが、その中で、吉宗は180だったのですから、巨人です。もっとも、伝説が伝説を生んで、巨人だということになっただけで、実際は170くらいだったという有力説もありますが。
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十歳のときに、家康から「何か欲しいものがあるか」と訊かれて、「天下」と答えました。家康は、「二度とそういうことを言ってはいけない」と叱りましたが、豪気のほどが偲ばれるというものです。
頼宣の跡を継いだのが、息子の光貞(みつさだ)。ある日、光貞が風呂に入っていると、最近雇われたばかりの百姓娘が、手桶に水を入れて浴室に入って来ました。
この女、やたらに大女。どう見ても美人ではありません。殿様に仕えるとは言っても、水汲みに使うだけですから、別に美しい女を選ぶ必要はなかったのです。
光貞は、風呂につかってじっとしているのが退屈だったので、ふといたずら心を起こし、手でお湯をすくって、女に引っかけました。貧乏な百姓娘は、仕事着とは言え、着物に湯をかけられたのですから、カッとなってしまいました。
なんと、彼女は、湯舟の中の光貞に向かって、手桶の冷水を頭からぶちまけたのです。殿様は驚いたのなんの。百姓娘ですから、殿様に口を利くのさえ、ふつうは遠慮しなければならない身分です。
まあ、これが美人だったら、「私なら何をしても許されるわ」と思い上がって、そのくらいのことをするかも知れません。でも、ブスがそういうことをしたら、お手討ちになるかも知れないのです。
光貞は、すっかり感心してしまいました。その夜、百姓娘は、殿様のベッドに呼ばれました。そして生まれたのが、後の名将軍になる吉宗。お母さんが大女だったので、吉宗も大男。
江戸時代の男子の身長は150センチくらいしかなかったと言われていますが、その中で、吉宗は180だったのですから、巨人です。もっとも、伝説が伝説を生んで、巨人だということになっただけで、実際は170くらいだったという有力説もありますが。
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